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手仕事と断捨離と親心

娘も主人も私も、夏の疲れなのか、9月のスタートを思い切って駆け出せず、思い切って休息した。

自然療法頼りの我が家。ここぞとばかりに宝石箱のような薬箱を開けて、アロマオイルや漢方、生活の智慧、とにかくひとつひとつ説明して、養生を伝える時間。

家の中も、よりすっきりとさせてみる。

子供と一緒にいる時間というのは、体感速度でいえばあるようでないものと自覚しているのだけれど。大目に見てあげなさいと自分で自分に問いかけているけれども。それにしてもね、”モノ”というのはなぜこうも生き物のように増えて増えて増えていくのか?という問いに自問自答しながら、想い出は心に、成長と共に手放しを繰り返す。

一番困るのは、作品たちで。こればっかりはいつも頭を悩ませるし、悩んできた世界中の母親たちが目に浮かぶ。結局、取っておいたりしてまだどうすることもできないものだって、あるわけです。

お子さんはどうしているのですか?と聞かれることがあるけれど、お子さんはお子さんの部屋があり、その中は自分で考えてねと、任せている。断捨離に関しては、モノの責任について話し合ったりする。捨てることが第一ではなくて、自分でモノを受け入れた責任を最後まで一緒に考えてみる。

片付けはモノのおうちを一つ一つ細やかに一緒に決めて、帰らせる場所が複雑にならないように話し合いをしたりする。親だけが必死になって掃除しても、結局何も変わらないし、親だけがなんだがずっと大変。

空間がいいと、発想がいい。

発想がいいと、想像もいい。

なんだかいいね。と気分もいい。

この、なんだかわからないけどいいね。という気持ちを大切にできるようになったのは、母となり数年前からのこと。私だって破茶滅茶な空間で朝から晩までモノに溢れてただただ理想と現実の狭間で揺れ動く時代があった。だから、なんだかいいね。を忘れる日があってもいいから、心地よさや感覚は大切にしてほしい。

親ができることって、こうなんというか、思い出の種まきというか、なんだったかわからないけど懐かしいとか、匂いというか、そんなことなようなことの気がしている。

その場、その時は理解しあえなくても、なんだか母さんこんなこと言ってたよなあ。って思い出す日が私も、今も、まだまだある。

まだまだ、あるから面白い。

今の母さんは、周りに習い、椅子に座り、紙とペンを動かすだけがいいことと思っていない。違いを楽しめる心、智慧を使うこと、敬意や感謝、礼儀を大切にすること、わたしを忘れないこと。

まだまだ、こどもなのにもうこの手を羽ばたきかけている羽根にそう伝えたい毎日。

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