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2022.3.16二十歳からの十年。
今年も当たり前のようにやってくる、誕生日。わたしは数字を覚えるのが苦手なので、自分の誕生日に入籍した。
今年は30歳。やっと30歳になれたー!というのが今の素直な感想で、20歳からの10年間は本当に人生の核のようなものが詰まった時間だった。
子供の頃から憧れていた成人式を夢見て、振袖に袖を通す。社会人というスタート地点に心躍らせたなも束の間、21歳で母の脳梗塞が起こり、介護生活のはじまり。当時まだまだ子供で遊び盛りだった私は未知の毎日に相当苦労した。母と関係は良い方ではなく喧嘩ばかりの思春期で素直になれなかったことが沢山あるし、まだ聞きたいこともあるし、教えてほしいことも山ほどあった。
これからどうやって生きていくんだろう。と思う毎日、心配して声をかけてくれる友達は有り難かったけれど、カラ元気に遊ぶと次の日どっと疲れてしまつという生活を数年過ごしていた。今でこそヤングケアラーというケアがあるけれど、当時そんな言葉が耳に入るわけもなく。
でもそんな中、助けてくれた人がいた。ぽっかりと母親という穴が空いた私に、いつも食事を食べさせてくれて、悩みを聞いてくれて、泣いて喚いて良いんだよ、疲れたら帰ってきなさい。と心の拠り所にする場所が私にはあった。
少しずつ母のこと、私のことを、分けられるようになり、”自分を大切にすること”を母はいつも望んでいてくれていたこと。
介護しながらも、いつもわたしは母の子供であること、できないことが増えても母の子供であることが変わらないことに気づいていく。
わたしを大切にするんだよ。と母からのエールを感じていた私。自分を大切にできるようになると、今の主人に出逢う。
24歳で結婚、出産と家族を持って、28歳で家を建てる。この怒涛の10年間で沢山のお世話になった方々の顔を思い出して、人生という旅路への感謝やお礼を今ここ土螢で果たしているのかもしれないなぁ。とふと思う。
記憶に後遺症がある母は大抵のことは覚えておらず聞いても知らない、わからない、と言われてしまうのだけれど
病前はとても厳しかった母が20歳の誕生日の時に香水をくれた。お花のような自然な香りで、当時はなんでこれが誕生日プレゼントなんだろう?と思うくらいだったけれど。その当時母が女性の品格という本を読んでいたことを思い出す。
21歳で病気をするまで、いつも母は”目張り、気配り、心配り”と唱えていた。わたしにも何度も何度も耳にタコができるほど。
何故香水だったのかはわからないのだけれど、きっと母なりの女性像として、身を引き締めて人に接しなさい。という病前最期のプレゼントだったと思う。
30歳からの私の心持ちは、目張り気配り心配り。10年経ってようやくそんなことを思い出す余裕ができて、この気持ちを人へ繋げていこうと思う。
主人と結婚生活6年を過ごしてみて、未だに互いに尊敬しあえる関係を保ち続けられるのは、病後の父の献身的な介護と、どんなことがあっても幸せにするね。と唱える日々、母はできないことがすごく増えてしまったけど、心はいつも温かくいて父への感謝を忘れないところ、足りないところにも幸せがあること、を間近で見て教えてもらうことができたからだと思う。
この素敵な経験ができた10年、本当ありがとう。
結婚記念日。主人と街へ出た。思い出のレストランへ。今日くらいは、と香水をひとかけして母に包まれながら素敵な夜を過ごしました。