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経験を積むこと

先日、私たちがボランティアしている留学のプログラムのファミリーミーティングがあった。諸外国から日本へ春から来ている春組生と、秋からスタートした秋組生、そしてそのプログラムを終え帰国した日本人学生の体験談、家族同士の交流が行われた。

気づけば我が家に留学生が来てからあっという間の半年が過ぎ、寂しさがありながらも、残すところ4ヶ月を切った。

留学生を受け入れることに慣れている人を見つける方が難しい。私たちはトータルで換算すると今回の留学生が二度目。ただ未成年で、学生であること、何事も保護者の同意が必要という部分では、初めての経験となった。

なので楽しみ反面、不安も少なからずあった。けれど今まで私たち家族が経験したすべてのことは、人生においてとても大切なことばかりだと思う。中間の振り返り。

【 島国の民族 】

“日本は島国ですから、外の世界へ向けることは新たな経験や価値観を与えてくれました。”ボランティアスタッフさんの言葉が耳残った。普段平然と暮らしている私たちは、海を見たり、山へ行ったり、不自由なく過ごしているけれど、”島の民族なんだ。”ということを改めて再認識した。暮らしの中でも、”気”を意識することに慣れている私たちは(気を遣う、気に触る、気になる、気持ち…等)、言わずとも無意識に”気”を感じながら、隣同士足並みを揃えることにさほど違和感がないのは、限りある島というこの限りある世界の中で、想いやり、協力し合っていくための、本能なのかもしれない。

家の中に生まれも育ちも価値観も違う人が住んでいるという状況は、互いに自分自身の大切なことを温めながら、互いの心地よい温度を探り合う、地道な作業でもある。何事も”いい塩梅”という言葉がしっくりときて、日本語の豊かさにまた、気づかされる。

【 循環と鏡の関係 】

言いたいことを言えなかったら、想いを伝えられなかったら、身体どこかに溜まっていく。身体のどこかに溜まってきたら、また別のどこかに溜めようとしていく。澱み、沈澱する。

自然環境も人間関係も循環していて常に、鏡の関係であることをここ十年で感じていたけれど、よりそう思わせてくれたのは彼女のお陰様である。

ボランティアスタッフさんに、とにかく言いたいことは言って話し合ってください。と最初の頃伝えられていた。ただ、年齢も生まれ育った価値観も違い、ましてや異国の地に降り立ったばかりの十代の子たちに、どこからどう話したらいいのか、伝え方に悩んだ時もあった。

ただその時、主人との会話の中で一致したのはわが家が彼女にとって”安全地帯”であることだった。それは私たちが彼女へ対する安心もだが、一番は彼女がこの家は”安全・安心できる”、と腹の内を話すことのできる環境づくり、いわば、「土づくり」から始めた。

私たちが彼女に対して安心することは、そう時間がかからなかった。彼女は大人っぽくしっかりした反面、ジョークや可愛らしさも持ち合わせている。一番は本国の家族の話を、たくさん話してくれた。愛の形はそれぞれだけれど、愛のある生き方が彼女を育んだことは言うまでもなく、すぐに理解できた。

彼女をみて、まだ幼い娘とのあり方も学んだ。たっぷり愛情を注がれた人は凛として芯の強さがあり、真の優しさを持つ。愛にはたくさんの形があって、厳しさの愛、突き放す愛もあるけれど。沢山の経験やこれまでの時間に、想い想われ、注がれた分の基礎は、いま土の奥底へ、しっかり根を伸ばすことができる支えになっていることを実感した。

【 どうしたいかより、どう在りたいか 】

新しい経験の中で、この言葉を何度も唱えた。”どうしたいかより、どう在りたいか”

大人の言葉や手助けは、ほとんどいらない。力を試す機会を奪わないことや、失敗を見守ることも必要。二人の子供たち、それぞれの自身の”今”の力を信じるレッスンのような毎日。環境が変わろうともそばにいるわたしが安心できる存在であることに注力しようと思えるようになった。

どうしたい!とこうしたい!こうして!ああして!よりも、家族としてどうありたいか、彼女との関係をどうありたいか。素直で真っ直ぐに向き合い、それが結果的にどうしたいかに繋がったように思った。

【わが青春時代】

そして、自分が10代や子供の頃、大人や親たちにどうあってほしかったかよく思い出すきっかけでもあった。やっぱり私は、信じてもらいたかったし、見守っていてほしかったと思う。まだ羽が生えたてて、うまくとべなかったり、失敗があったとしても、それでいいんだよと。過ごせたら安心したと思う。

言いたいことの着地点や、現実を大きく変えることにこだわるよりも、どうありたいか?の柔らかさは輪をもたらして、オンリーワンの土壌の栄養になっていくことを実感したのだった。

大切なことだから、書き留めておこう。

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