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京都へいこう

今年、隣町の笠間では吉永小百合さんがとあるPRをつとめ秋の始まりとともに賑わいをみせていた。

昨年行った宮城県・松島のホテルでも、偶然にも小百合さんの撮影したホテルと知らずして旅をしたり。品のある、のどかな日本のイメージに吉永小百合さんはぴったりで、金沢・松島・京都。行く其々の場所に吉永さんのPRがある。そこに芸術と栗の街、”笠間”も仲間入りなのだから、すごいことだ。

そんなことを考えながら、そうだ、京都へ行こう。と有名な謳い文句がふと頭に流れ、秋の京都旅の幕開けをした。

修学旅行、二十歳の一人旅、妊娠中の夜行バス旅を経て京都へは確か、4回目の上陸。

懐かしいところと、新しいところ。今回は小学生になったあの子が一緒。悪阻中、お腹にいたまだ小さな卵だった頃の彼女から、一人とカウントされた彼女は高速バスもへっちゃらで就寝。移動もこなれたもので、日頃の車中泊で鍛えられているからだろうか。寝起きも意気揚々と足取り軽い。

21:40水戸発、翌朝5:50京都着。朝陽が登りはじめるまだ薄暗い市内を歩く。

東本願寺は早朝の京都の門番のような場所。誰でも受け入れて、静かさの中我を見つめる。お邪魔します。と声をかけるような気持ちで座り込み、ただいまと思う懐かしさは、東本願寺の懐の深さなのだろうか。何百年と受け継がれてきた思想や歴史に、宗派を超えて現代でも生きる智慧に朝から身が引き締まった。

“死を見つめると生が問われる”

本願寺の目の前にあるキャッチフレーズが目に入る。身の回りの死や病に触れる機会が多かった20代。悩みながらもどんな日々でも価値があり、生きることが永遠でないこと、日常が有限の中のひとこまであることは、生死観から学んだ。死を見つめると、生が問われるの言葉は、私の中の胸の奥底にしっかりと沈みこんだ。

さて、京都旅は急に思い立ったわけではない。主人の趣味である倒立のフェスが四日間この地で開催された。無論、主人は参加することとなるわけで。富士旅行から帰路につき褌倒立を始めた今年の正月。数ヶ月で、同じ目線・鍛錬を積む方々との触れ合いの幅が広がった彼は、迷うことなく京都へ行っていた。

そんな彼と、私と娘は3日ぶりの再会を東本願寺の前で果たした。禅修行の食事でもてなさられる数日間、久しぶりの彼は肌艶の良く充実した時間を過ごしていることがよくわかった。

彼と合流を果たし、我が家はひさしぶりの3人家族を味わった。そして、この旅最大のイベントを体験することとなるわけで。

7歳を目前に、本人の熱望により舞妓体験をしに来た。アニメ舞妓さんちのまかないさんを見たことがきっかけで、京都の花街文化を知るきっかけとなる。

小さな頃から女の子街道をまっしぐら…ではなく、どちらかといえばお転婆で活発な彼女が、着物を着るなら絶対舞妓さん!と憧れの存在のように語る姿が可愛らしかった。昔から忍者が好きで、3歳の七五三も着物を着ることが大好きで苦労なく、良き思い出。空手を始めたのも道着を来たいという理由もあるほど、日本文化は彼女にとって美しく格好いいという感覚があるよう。

祇園方面へ到着するまで口数の多かった彼女も、いざプロの技術に触れると口数も減り、所作まで立派なチビ舞妓に大変身。

自由散策では国籍を超えて、声をかけられること。彼女が夏休みから欠かさずに日々綴っている日記には”京都で果たす6のこと”の中に、”外国人と話す”という目標を掲げていた。想定の範囲内のように、ハロー、サンキューと簡単ながらも受け答えをして、カメラに目線を向ける姿は親ながら、ふふっとわらけてしまう。

可愛さと、なんだか不思議な面白さ半分と。彼女のやりたいことや憧れにまっすぐな瞳がみれたことは、親として申し分ないほどに有り難かった。

古き良き歴史ある日本文化は、年齢や国籍を問わず優美なるものであって欲しいと、改めて感じる一幕だった。

京都旅編後半は続く

#舞妓体験 #京都旅

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