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2026.2.25春の雨、父と娘
今朝は、久しぶりの雨で、庭仕事が一時中断となる。やりたかったことが山積みなのだけれど、これはこれで、よかった。

今日は、我が家の話を少しばかり。
今年10歳になる娘がいて、赤ちゃん〜幼児期〜学童期と経過中。今までにない、階段をぐっと登るような、そんな成長を感じている。選ぶ言葉だったり、間の開け方も、心の声、緩急、家の顔、外の顔。こりゃまた、随分成長したなぁ。と思う毎日。
それと同時に、心身体とぐっと伸び続けている彼女に少しずつ、”変化”が訪れている。梅の花が開くように、冬から春に季節が変わるように、母親の嗅覚というのは、時間をかけて移りゆく季節のような、言葉には表せない変化を捉えるセンサーのようなものが、あるのかもしれない。
私はそれを感心してみていて、心地よい段階になっていた近頃に、待ってましたぁ!!!!!と言わんばかりに、父と娘がコツンとぶつかった。
内容はどこの家庭にもあるような、テレビのチャンネルとか寝る時間とか。ほんのちょっとした事だったけれど、ぶわわわぁ〜っと父娘ともに、感情が並々溢れた。
こんなこと、今までなかった。大好きな父、父世界一!の娘が、なんでわかってくれないの?と父への共感を求めてる。
あらあらあら、と二人をそっちのけで、私はのんきに風呂に入り、念入りに爪を磨いちゃうくらい余裕な時間を過ごさせてもらいながら、ゆっくり観察していた。
男と女のなんというか、深く交差する、不思議な絡み合いが冷静に見れて、成長を感じながら面白くなってしまった。ちょっと収拾がつかなくなってきた頃合いで、私がちょろりと水をさして、どっちの言い分も聞きながら、最後は二人で話し合って、こじれた糸を解いていた。
主人も少し驚いた様子で、しっかり羽が生えてきていることを夫婦で確認する。それと同時に、私自身、娘と同じ歳の頃のことを思い出した。
私の家は転勤族で、小学生から中学まで単身赴任の父とは週末家族だった。今になって思えば母はよく三人の子供を仕事しながら、支えたなぁ。と思う。
週末父に会うと必ず、一週間のだらけた生活のお咎めがある。私は三姉弟の真ん中だったので、適当に聴き流し、やり過ごしていた。物心ついたときから、父は怖い人、怒る人っというイメージだった。
けど、四年生のある日、友達といざこざがあって、どうしても学校へ行きたくなくて、学校を休みたかった。辛かった日が一日だけあった。母に相談すると、”学校を休むなど言語道断、知りません。”と言われ、勝手に学校を休む度胸もなく、困った私は登校班に合流せず、玄関の電話機から単身赴任している父の携帯に、電話したことがあった。
多分体感3分くらいだったと思うけど、学校へ行きたくないことを伝えて、どうしたの?と問われたけどうまく説明できなかったと思う。ただただ、涙を堪えて、受話器を切った記憶。
その時、父には、学校へ行け。ともなんとも言われなかった。ただただ、そうなのか。と聞いてくれて、好きにしなさい、とそんな感じだったかな。
怖い父のはずだったけど、その時から、私が本当に辛い時や、誰にも言えないことを相談する”大切な話をする人”に関係が大きく変わったことを鮮明に覚えている。
思春期で激しくぶつかりあったし、いまだにたこ焼きの焼き方ひとつで険悪になる仲だけど、私の対人関係のなかで誰にも話さない心の中の話は、父にだけそれとなく、相談する。
家庭第一ではなくて、社会を守ってきた人だった。そのおかげで、私の知らない世界で助けられた人がいる。忙しいと一括りにしていた思春期の私には、肝心な時に”いつもいない”と腹立たしく思ってたけど、時を経て今、私が暮らしの中で、社会と繋がる福祉やボランティア活動を止めない気持ちがあるのは、社会へ貢献し続けた父の影響があると思う。
そして、多忙の中で単身赴任の小さなアパートに、同僚や部下に食事をふるまったり、夜会を楽しんでいる、魚を釣ってから料理にするまで、手間をかけておもてなしする父の姿もまた、今の土螢というこの暮らし方に、大きく繋がっている。

今日手に取った本は、黒川伊保子さんの「娘のトリセツ」わかるなぁ。共感できるところが沢山あり、娘とのコミュニケーション術の章はあるあるだわぁ〜と笑えてしまう。そして父とはなんたる存在か、こうだったなぁ。と思い出させてくれる一冊だった。
俗に言う良い父親、喧嘩しない父親、反抗しない父親、であってほしいとはこれっぽっちも思わない。彼自身が好きに生きて、たまに頑固親父でも、すぐに理解されなくてもいい。ただ、ふと肝心な時は、同じ目線で横にいてくれるだけで、お父さんという存在はものすごく、大きい。
この本書の中に、”父の愛は時間差で追いかけてくる”という言葉がある。まさしくそれを何年もかけて、受け取っている私と、今まさに父娘の愛を作り始めた若葉な父娘の成長途中、主人と娘との二つの心を重ね合わせながら、春の雨のなか、今日の綴りで、私も心が整理された。
どこの家庭にも、よくある話で、美談ではなく、暮らしの中ではピリつくこともある。
このピリッと塩辛い瞬間をも、味わえる家族でありたい。