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日課と記憶

夏が明け、9月からウォーキングの習慣を取り入れ始めた。運動不足解消の狙いからだったけれど、何を言わずともこの季節は美しすぎる。

朝娘を見送ってから束の間のおひとりさま時間。今日は雑誌TRANSITの編集者が送るPodcast旅と世界のお話をお供に、一時間じっくり歩いた。

#10 冬のフィンランドを歩く の会をゆっくりと耳へ流し込む。千波湖畔が瞬く間に、フィンランドのように感じてくるのは気のせいだろうか。

2年前、旅の朗読というイベントを数回行っていた。フィンランドもその時紹介し、ラップランドのオーロラの会は未だに記憶に残っている。フィンランドへ行ったことは無いのだけれど、これから先必ず行くであろう場所。ラジオから感じるフィンランドが、もう既に心地よかった。

ラジオでテキスタイルについて触れる部分があった。テキスタイルとは、布や織物の総称をさす。言語が発達するはるか前の古代から、人々は草木を編み、その模様や絵柄で物事を表したり、食物を包んだり、衣類を作ったり、記録を残したり、様々な表現をしていた。

言葉よりも遥かに先に発達した表現方法で、編むや織るといった行為は時として、瞑想的に没頭することも多い。

テキスト(原文)という言葉の語源がテキスタイルなのでは、と石塚氏はラジオで語っている。

四年前、娘を幼稚園に送る傍ら、テキスタイルの教室に通っていたことがある。小さな娘傍らの作業で織りの、すべてを熟知することはできなかったけれど、一つ一つの動きが、はるか昔からやっていたような、懐かしい感覚を覚えたのは、潜在的な記憶を刺激していたのかもしれないと、今更ながら思った。

散歩から帰宅し、織物はできないけれどとにかく手を動かしたかった。何か自然物から作り出したくなって、今年もまた毬栗染をすることにした。鉄媒染液を自作しておいた。布もいつか染めるだろうと豆乳で下処理をし乾いた物を既に溜め込んでいた。やる気の花が開く頃には、準備満タンである。

歩いてラジオを聴き、庭仕事をして草木染め。そんなふうに朝からインスピレーションを受けて、身体がシャキシャキ動いた。先々週から栗仕事に追われていたけれど、毬栗を染め、旅人たちの半纏や湯たんぽカバー作りに勤しむ。

手を動かすこと。遠いようで近い。ものづくりは一つ一つのことに意味がある。そんなことを何千年も前から人々はやってきた。

先人の智慧に感謝。フィンランドから派生して地球中の先住民を想いながら。今週もまた忙しくなりそう。

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