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旅と子。京都編

京都旅後編1

無事、娘の念願を叶え、また私たちは二手に分かれた。娘と二人旅。

小学生ってなんだかいいな。を実感する旅でもあった。やりたいことや、碁盤の目の上という京都ならではの地理の感覚を共有しながら、チャレンジの幅がグッと広がる感覚があった。

ザ京都観光をするのは、やめた。娘が興味のあるとある動物に会いに行くがこの旅のメインとなった。市街地から約40分。京都比叡山の麓にある猫猫寺の猫住職に会いたいとのこと。京都の路線バスはわかりやすいほうだと思うけれど、それでも地理慣れしていなかったのと、市バスのシステムの違い、乗車に二人で四苦八苦。途中で間違えた路線に乗ったことに気づいて、急いで進路変更!こんなハプニングもリアルな世界だからこそたのしかったりする。ゆっくりいこうや。が二人の合言葉に自然となった。

路線バスを乗り継いで、紅葉がはじまり出した比叡山の麓、猫猫寺。無事到着。なんと、娘さん、滞在2時間ずーっと、猫ちゃんと無言でコミュニケーションを。動物愛が溢れる彼女に驚き。私はふらふらと美術鑑賞を楽しむ時間に。

猫住職の珍くんにお会いできた。毎日住職さんがいるわけではないのでラッキーとのこと。そして、野良猫の気まぐれ猫福ちゃん、この子はもっとレア猫らしく。福ちゃんの餌をあげていいよ、と猫猫寺のスタッフさん。チュールおやつ係の担当をさせて頂けることに。福ちゃんはチュールを食べると颯爽と巨木の影へ帰って行ってしまった。本当に気まぐれさんで、会えたことに福を感じる猫様だった。

幾度も旅を重ねたけれど、娘のやりたいことと私のやりたいことの折り合いを互いにうまい具合につけられる年齢になったことが嬉しかった。2時間以上猫猫寺に滞在した彼女は気持ちが充電されたよう。私は猫に癒される彼女を観察して母としての気持ちが充電されたのだった。

比叡山ケーブルカーに乗って、秋の比叡山を散策。娘を育てるまでに、幾度となく山や森の中で時間を過ごした。小学校が始まってから、意識的にトレッキングやレジャーに出かけているけれど、やっぱり旅先でも、私は彼女と山に登りたい。どこへ行ってもとりあえず軽く登れる低山を探してしまう不思議な癖。山登ろっ!!と声をかけると嫌だ!と言われることは今のところ、まだない。”まだ”ないだけなのだと思っている。きっといつか、山はいいや〜って言われる日が来るのかもしれないね。

枯れ葉や木を踏んで進めていく足音や、道中に見つける不思議な生き物や綺麗なものを子供たちは見つける天才。胸を張ってどんな子でも天才といえる。山で幼少期を過ごしたからこその感性は、いくつになっても衰えず。日頃なんとなくぼーっとしてるふわふわした余白のようなものは、山の中でぼーっと遠くを見る時と似ているような気がする。

彼女を自然豊かな環境にどっぷりと浸かって育てあげたことは、何にも変えられぬほど、宝のような時間だった。ノーメディアを推奨していた理由が、今になって凄く深い意味を示したものだったと思う。あの時代があったからこそ、今がある。感謝しきれない。

そんな時間を娘と二人、京都の地でもじっくり味わった。娘は登頂するとすぐさまノートと鉛筆をだして、一時間程スケッチやら、物語り制作に忙しそう。まるでリアルなジャイ子のようだ。話しかけてもかえってこないほどだったので私は、周辺散策をした。

小学生は心底楽しい。私自身もとんでもなく楽しかった。親の言うことはなんにも聞かなかった。あてにしなかった。とんでもないことを企んだり、表現したり。色んな人、多様な暮らしや生活、学校の先生もいれば、習い事の先生、高圧的な大人、子供のような大人、大人風を装う大人。正しいを押し付ける世界、多様性と認め合う世界、色んな世界が彼女のレンズから見えていると思うと、どれも大切な経験だなぁ。と心底有り難く思える。

一年生の彼女をじっくりじっくり観察して、まだまだアイスにつられちゃう彼女も、しっかりとお金や時間の計算をしてくれる彼女も、どんな彼女も愛してるんだよなぁって真剣に母娘の世界を味わう。

旅をすること、その地を味わうことは大して問題ではないのかもしれない。あれやこれやと時間と行動を詰め込むよりも、日常でないからこそ大切なことや今を見つめる時間に旅は子を見つめる最適なひとときだなぁと思える時間だった。

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