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年の瀬の便り

今年3周年を迎えた土螢は、また新たな一年を刻むため今年お世話になった旅人たちへ土螢新聞を発刊いたしました。

新聞のアイディアは娘の一言から。硬くならずに、想いのまま文字を纏める。彼女のアイディアは豊かで面白く、大人になって堅物になった心をほぐしてくれます。

新聞の制作は家族全員で。今年訪れて下さった皆様に、一筆ずつ取らせていただきました。

土螢の欠片を散りばめたくて、ローズマリーの生葉を添えて。

この一年は、なんとなく始まった土螢が、より宿屋として意味を成すようになった基盤のようなものを感じた一年でもありました。訪れてくれる旅人達は、わたしたちに様々な感覚や意識の捉え方、暮らしのあり方を教えて下さって、こんな方法もあるんだ。と新たなる風を吹いてくれた、そんな気持ちです。

宛名を書きながら、ひとりひとりとの交わした言葉や時間を思い出しました。

【わたしの今年とよく年】

今年、沢山の日本を味わった。季節も、景色も北から秋田、東北旅、富士山、京都。南は沖縄・宮古島まで。旅にはいろんなドラマや景色がつきもの。旅が好きだけれど、日本全土の地形や季節を味わうことが、私的にはなによりの褒美だったように思う。10代20代を過ぎ、31歳の旅は”平穏と欲張らない透明たるひと時”がテーマのようだった。

時間をたっぷり使うこと、多少のずれは気にしないこと。性格も考え方も自分が丸々と丸びてきたことを、旅の思考で感じとる。10代の頃少しはまっていた釣りも再開した。随分、時間の捉え方や、見るものへの意識が変わり、見える世界の色が違うように思う。家族で魚を求めて毎週のように水辺へいった。食べるまでが釣り師の使命。アレンジ料理を考えては、結局シンプルが一番美味い。

苦手だった動物も、娘の動物好きが家族を巻き込んで今や犬、鶏、兎、魚と家族が増え世話に没頭する時間が増えた。触れることすらできなかった生き物達は、今や抱っこは当たり前に。とてもちいさな命たち。鼓動の波をを両手で受け取る。命を元にした生きた経験を刻ませてもらったのも、今年の色濃い記憶である。

土螢で出逢った人々たちとの故郷へ伺い再会もさせて頂けた。”こっちにきたら、立ち寄ってね。”と声をかけていただき、一期一会ならず旅人たちとの繋がりを保てることが、宝のような時間。

暮らしや旅から受け取る、気持ちや姿勢。静けさの小波が身体に馴染んできたばかりの、この頃。だけれど、まだまだ青二才。気持ちへゆとりが無くなると、目の前のことへ必死になってしまったり、本来そこまで大切でないものや、自分が不要だと思うことへ、手放すのに結構時間を用していたり。はっとする場面が多かったようにも思う。(今までよりもはっとする機会が増えた◎)

とある日。娘に、母は今、何%悲しい気持ち?と聞かれた。悲しいことがあったその日、素直に80%かな。と答えると、その悲しみはどうやったらだんだん薄くなるんだろうね?と問いかけのような、導きのような、言葉をもらったことがあった。

残りの20%はどんな気持ち?と問われて、なんだか疲れて逃げたい気持ち。と正直に答えた。

たんまり心が疲れて居たり、身体も忙しさで酷使していたりで、どことなく余裕が無かったのだけれど、こうしてゆっくりと気持ちのこじれを紐解いていくような、緩やかで温かい彼女のひと声に、私ったら、ちゃんと疲れてるじゃない。と自覚出来た出来事だったように思う。

考え事だってするし、思うようにいかない日もあるし、けれども、進んだら立ち止まって、元に戻って。を繰り返しながらの、大切な一歩のあゆみが日々の豊かさや、丁寧な心のあり方にに繋がると身をもって体験した。それぞれが、どんな年だったとしても、それは私たちにとって肥やしのような、大切な旅のひととき。

今年たんまりと温めた私のおもう生き方を、来年は少しずつ少しずつ体現していこうとおもう。

愛おしい日々と、素直な振り返りと。感謝を込めて。今年、残りわずかな、旅人。同じ時を過ごせる人たちを。大切にお迎えして年を締め括ろうと思います。

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