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不浄を嫌う竈門神

師走。12月の時間の経ち方は、100年前も今もさほど変わらないような気がする。正月飾りがスーパーにも売られている昨今は、”神様がもっと身近だった頃を思い出して”と言われているような、そんな気を起こしてくれる。

大掃除というワードは主婦なら誰しも気にする言葉なのではないだろうか?わたしの子供の頃は両親が忙しかったので仕事納めの次の日、30日あたりに家族みんなで家の掃除をしていた記憶がある。青い花柄のエプロンとピンク色のゴム手袋をした母の姿は、仕事で忙しかった母ではなく、年が越せないわよと掃除の大切さを教えてくれるお母さんの姿だった。    私は両親にいつも、几帳面な姉と比べられて、だらしない!とか、整理整頓ができない!と叱られてばかりいるような子だった。今思えば、歳も違うし、比べられても困りまるけれど。といった話だけれど。姉妹の性質が違うことは良くあること。忘れ物や物を無くしても、一つや二つ、あまり気にしないタイプだった。

早くに家を出て一人暮らしが長かったので、部屋が荒れれば暮らしが荒れる、バロメーターのようなものだと勉強したのは二十歳前からだった。便利グッズを買っては捨てて、引っ越しては増えて、を繰り返し。こんな生活は嫌だ、と真の意味で心地よい空間とはなんだろう?と、昔から住まいについてよく考えていたように思う。

掃除が好き、とか、潔癖症であるという話ではない。私は、神話や物語が好き。そちらのほうが、身に入ってきやすい。例えばトイレには神様がいると聞けば、面倒臭い気持ちでお手洗いへいくと何処かで神様に見られているんじゃなかろうか?と未だに子供のように信じていたりもする。     以前オイリュトミーで出逢った、まや先生がこんな話をしていたことを思い出す。古来の日本人の掃除は清めるということ。空間を清めるには、”音”を昔から大切にしていた。埃をハタキで祓う音、煤を掃く音、水を撒く音。音に意識を向けると、また違った空間の清め方になるんですよ。と

私はこの場所が好き。清く美しく、赤子に戻りお腹の中の大きな穴蔵のような。普通の住宅よりも、不便や苦労も多い。虫は沢山入ってくるし、気づけばすぐ蜘蛛の巣だらけになってしまう。だけれど、この場所が、とっても好き。

今日は台所の掃除を仕上げる。毎日使い毎日たつ場所だから、ちゃんと考えなければならない。”不浄を嫌う竈門神”今年、水戸の歴史館へ行った時に昔の人の暮らしという展示室で見た言葉だった。竈門、火が暮しの中心だった頃。竈の神はどの家にも身近に祀られている神様だったらしい。かまどの上に神棚を設けて、火の回りは整えて暮らしていたという。

消毒や滅菌が掃除と思われがちな、現代。本来の暮らしの美しさや不浄でない空間というものはどんな様子だったのか。私たち日本人が古来から当たり前にやっていたことを大切に、竈門神を想い今年の垢を落とそうと思うのでした。

空間は、その人の愛が出る。

最近、人から聴いて耳に残った言葉です。

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