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それぞれの目線

それぞれがそれぞれの旅へでた一週間。奄美大島・岩手・那須。綺麗に海・山・川と分かれた。帰ってきてからの土産話が嬉しい。たった数日会えなかった時間の目線が、どんな彩りだったのか。

昨日、友人ご家族が遊びにきてくれた。その家族も、私たちと同じような、”それぞれの時間”を大切にしている。

家族と離れ遠い島へ行って一人、涙をながしたそう。素敵な経験だ。

家族散り散りになっても、わたしの時間を歩む、自分を見つめることに、わたしがわたしを愛でる時間があっていい。

【わたしのこと】

私は一人でいる時間は好き。日頃も無意識に一人でいる選択をしている方だと思う。らしくいられない空間に身を置かないこと。自分が息苦しくて、呼吸しずらい場所は本能ですり抜けている。

本音で話せる人との時間を味わいたいと、心と身体はいつも言っている。私がわたしで居れる時間は一体どんな時なんだろうと考えた時、散々旅はすきだけれど、この一年はなんだかじっと家にいたい。なにより主人のそばにいたい、そんな気持ち。

側から見たら、わがままだらけの暮らしをしているのかもしれない。でも、至ってわたしは真面目に生きてたりする。旅には出たいけれど、一言目を話す相手は主人でありたいと思ってしまう私がいる。呟く一言も、とりあえず君が一番に聞いてくれと思ってしまっている。そんな調子なこの頃の私。でも、気難しいのはここからで、しつこくされたり、気分と合わないことは、好きじゃない。

だからこの、絶妙な塩梅みたいなものは、この人以外この先いるのかな。と時々、不安になることもある。そして、不安より今を大切にしようと思い直したりする。

昨日、友人夫婦に言われた一言は

繊細なんだね。だった。

繊細なのかあ。と言われた時は疑問だった。どちらかといえば対局の方でざっくりさっぱり生きてきたと思ってた。けれど、これを、繊細というんだ。と飲み込んだ。

私にとっての母なる海のような存在は彼で、繊細な私を静かに見守ってくれている。そんな毎日が至福だったりする。鶏が庭に出しても小屋に戻ってくるように、私は勢いよく外へ出ても気づくと家に帰ってきている。鶏のようだ。

来年、私はその見守り役と離れて暮らすことになる。

楽しみよりも不安が勝ちそうだったこの頃。あれ?ちょっと楽しみ。になった昨晩。

来年離れるのだから、今年はせめてひとときも離れたくないという、幼児の駄々っ子のような気持ちは今だから、なのかもしれないね。

何が良いとか、何がダメとかそんなことって無くて、私は今どうしたいか、わたしがわたしであれる場所は、あぁやっぱりここなんだなぁ。と改めて気付かせてもらう。

どこでよりも、誰とが重要な32歳の夏休み。

友人夫妻に、ありがとうを込めて。

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