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2024.3.15じぶんであること
公私共に忙しさの中駆け抜けた春。少し落ち着いてようやく家族でハイキングをしたり、お上に挨拶回りをしたりと家族水入らずの休日を過ごした。
春は出逢いあり、別れあり。宿のほかに携わっていることの一つ、自然環境の中でこどもたちを見守る保育のお手伝いをしていら私は、娘が園を巣立ってからも丸一年ボランティアスタッフとして過ごした。
子供の一年というのは著しい成長を遂げる。お母さんの影にくっついていたあの子も、けらけらとひょうきんなあの子も。みんなそれぞれの姿に変貌を遂げて、立派に巣立つ。個性がぐんぐんと伸びて行く。そんな中でも、苦手を大切に温めていたり、時が来たら不要なものは手放したりと、いつもありのまま、そのままの彼らの温度が、私は大好き。
娘を含め、彼らを見守り、そしてまた留学生の彼女も。年齢は違えど皆天からの贈り物で、私にとって尊敬できる唯一無二の存在がこどもたちだ。
嘘偽りなく、感情を出して、泣いたり笑ったり。時に大人よりも冷静だったり、心配してくれたり。子供たちの可能性エナジーは計り知れない。
いつからだろうか、なんとなく周りに合わせることが当たり前になってきた社会人・コミュニティとしての自分があまり好きじゃない、苦く苦しい時を過ごしたこと鮮明に覚えている。
大人はいつから大人になるんだろう?年齢か、経験値か。わからないけれど、できることが増えるにつれて、見えなくなるものが多くなる。すなわち、まっくろくろすけやトトロといったジブリアニメーションの中で言われている、大人になると見えなくなるという世界は現実に存在すると思った。
ずっとそのままでいて。ついそう思ってしまう自分もいるけれど、たくさん変わっていい。沢山嫌なやつでいい。醜くていい。プラスばかりに煽られなくていい。ちゃんと真ん中がある。ここにある。
だから丸だと全て経験して、わたしの中心はここだって言える。そんなふうに、揺るがない真ん中を持っていてくれたら嬉しい。
私に関わるすべての子どもたちが、じぶんであることを大切にしていてくれたら嬉しい。私もどんどん自分軸を探求してもっともっと面白い人間でありたいと思った。
今年もまた年齢を問わず、子供たちの経験の一部として記憶に残るそんな人となりたい。