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さかな小僧たちの夏休み

この夏、嬉しいことに親子旅で土螢を訪れてくれた人たちが数組いた。人生の尺の中で、一瞬の子育て時期。日常はてんやわんやと慌ただしくとも、今日を噛み締めるように、母さんとこどもたちが土螢へ”旅”しにきてくれることが、心の底から嬉しかった。

兄弟がいる子は、弟と離れてお母さんを独り占めした。わたしも次女だから、にやりと上機嫌なその笑み、滲み出てしまう気持ちがわかる。

知らぬ街へきて、山の中で虫取りナイトや川遊びをそれぞれにした。

みんな、みんな、お母さんがだいすき。お母さんが朗らかとした空間は、微炭酸のワインのよう。夜遅くまで、力尽きるまでこどもたちは遊びつづけた。

寝かしつけるときの、優しい声や、明日の朝が待ち遠しいと話すこどもたちの様子が、隙間から漏れて聞こえてくる。宿冥利に尽きる。

きらきらとした夏の小僧たちは、虫やお魚が大好き。ある家族に、旅のテーマは?と聞くと”お魚”と答えた。食事の仕入れは魚で決まり。

賑わう早朝の青柳市場で、子供でも捌けそうな魚をチョイス。鯵、甘鯛、鰯のセレクト。

ちょうど、その日、私の父(自称釣り師)が船釣りで小鯛をたくさん釣ったとの連絡があり。急遽土螢へ来てくれた。

父はちいさなころから、私に釣りを連れて行った。当時はつまんない。と思う気持ちが大半。けれどいつしか大人になった私は、バス釣りを経て、今や小川で娘と川釣りを楽しんでいる。

親からもらう、愉しみピースは人生の中のどこでどう揃うか、どこでどうなるかは、わからないものだなぁと思った。

もう、お爺ちゃんになった父の手が、この子のこれから始まる釣り人生に芽を息吹かせるように、今日の日という記憶の種を蒔いた。

わたしも、こうやってそうやって、教わったんだ。

この夜、三年生の男の子が作った鯵のなめろう。

その他に、鰯を手開きしてムニエル・甘鯛は鱗揚げにして頂いた。

自ら子育てをする中で、不思議で惹きつけられた体験というのは妙に身体や記憶に残るものだと思う。使ったタオルの匂いや、生臭い手先、薄暗い蛍光灯の照明。

なぜか私の幼少期の記憶には、不思議で面白かった日の記憶がたくさん残っている。

この記憶が、思春期を通り過ぎ青年期を迎え、子育てをしている今、懐かしくて、愉しくて、温かくて。

今年も釣りに行ってくれた、小僧たち。親戚のおばさんのような、不思議な釣りおばさんに、目を光らせて助手をしてくれる彼らが愛おしかった。

そして、海釣りに挑戦しよう!と言い出した我が子。あなたの、冒険心が、わたしは大好きだ。

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