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こうしたい。の具現化

自分の人間臭さとか、恥ずかしくて嫌になるような感情も沢山感じてきたけれど、それはそれで歪さが人間らしくていいのよね。って一周二周三周しちゃってるわたしがいる。無責任なくらい、自由だ。

もてなしているようで、本来、お土産をもらっているのは私たちの方。どんなゲストたちも、今日今この時に必要だったエッセンスを、ぽたりぽたりと落としていってくれている。

“土螢さんは、暮らし開きに近いとのかもしれない。”新しい言葉を教えていただいて、確かにこりゃ、暮らし開きだ。と納得した。暮らしを開くからこそ、信頼や安心が大切であるし、わたしたちのエネルギーはいつだって正直であることが大切だ。

電話の予約も、SNSの時代にあえて不便なやりとりにこだわることも、一つひとつの時間が、ここに繋がっている。

こんなこと聞きたかった。こんな話したかった。楽しかったからこその余韻が強くて、娘にほろっと反省の言葉をこぼした。

旅人との距離感や、もっと知りたいこと、教えたいこと、家族のこと、どんなふうに伝えたら、面白いだろうか。

娘はすらすらとアイディアを出してくれて、ノートにまとめてくれた。

子どものアイディアは侮れない。知ってもらいたいことに真っ直ぐだし、妙にくすっと笑える温かみもある。

私自身がが少しいっぱいいっぱいじゃないか?という案も出た。”大変”とは思ってもいないのだけれど、周りには大変に見えるみたい。ただ正月やお盆の母親の姿は、こんなもんじゃないだろうか。ただ、パートナーである主人も、私の仕込みや手際に入る隙がないと。

少しはっとした。手際とか時間とか空間とか。なんだかそんなことばっかりで、心の真ん中ってなんぞやと突かれたようだった。

実家に帰れば勝手に冷蔵庫を開けるし、飲みたい時に飲むし、食べるし、寝るし。

実家を目指すわけではないけれど、ゆっくりしてや。の言葉の裏は、安心してくつろいでいいよ。ってことなのかもしれない。

娘はお話が大好き、というかディベートが好き。思想とか道徳とか。正しさの形が一つでないことを教えてくれる。我が家の家族会議はいつもノートにまとめていて数時間に及ぶときもある。7歳の娘が親二人をなだめてくれるときだってある。

そんな彼女をみて、仕事中だから、ちょっと静かにしててというよりも、もっと頼っていいか。と腑に落ちて思った。もっと家族で作り上げる空間にしたいと強く強く思った。

コミュニケーションとしては、話したい議題のテーマをくじで引き合う、語り合う。大人の話だから、と仲間に入れないのは嫌で、素直に教えてほしい頼ってほしいと思うのは、大人である私も同じことだった。その時々の場合にもよるけれど、団欒は年齢関係ない。

食については、手を使う、どんどん手を出してもらう、私があまり遠慮しない。

もっともっと、共に暮らしている感覚に近づけていけるように。すると、もっと近くに聞いてみたいを聞ける相手になれるかもしれないと思った。

土螢5年目に突入したこの秋まだまだ練って練ってついてついて、ふかふかのお餅になる途中だ。

子供時代の娘が共にこの空間を作り上げられる時間は残り7年〜10年。巣立ってもいいし、いつかは舞い戻ってもいいけど、彼女にも彼女の道がある。ただこの残りの数年は家族で作り上げられる。

三人だと、いつだって心強い。

いい旅にしよう。いい宿にしよう。ねりに、練っていこう。

。今できることをもっと明確に深めたいと思った

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