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続き、繋ぎ、巡る

充実した九月、私生活も宿も、ご縁で活気溢れるひとときとなりました。

常連家族の再来は、もはや息子娘・孫の里帰りのようなそんな気持ち。毎度のこと2泊3日の土螢茨城満喫コース。

なんだか流れるように過ごした時間がもう、既に愛おしい。家族ロスなおばあちゃんの気持ちに打ちひしがれているが、こんな気持ちにさせてくれるのも宿女将をやらせてもらえる冥利に尽きる。

おばあちゃんだなんて、孫だなんて、大袈裟な。まだ若いのに。とよく言われることがあるのだけれど、前世の記憶や巡りなのだろうか。私は子供が愛おしくて仕方ない。我が子だからとかそういう類ではなく、子供の素直さが、単純にすき。嫌いも好きもありのまま。そんな姿が一番真っ直ぐで、なにより自然であることを、大人たちにひしひしと伝えてくる。だからこそ、わたしにとってどんな子供たちも原点を思い出させてくれる、師匠であると心底思うのだった。夏の家族の帰省を待っていた私は、ここへきて今ホッとしてる。どの家族も、安らいでくれることが嬉しかった。そしてなにより、明日からの一歩をまた歩み進める時に、背中を見送ることができたことに、力強くいってらっしゃい。を唱えているわたしがいた。

それぞれの、ライフスタイルや暮らしの概念が違う。十人十色。ただ、根っこの部分は皆同じ。家族は温かくて愛しくて。年齢や成長が違えど、家族との時間を今ここに刻みにきてくれるということ。有り難い。ほんとうに、有り難い。

またどこかで、会えることを愉しみに。

きたる秋の旅人へ想いを馳せていこうと思います。

【 巡る、浄化の日 】

そんなぽっかりロスな気持ちのところに、夜の訪ね人。私の中の歩くパワースポットのような人との、思わぬ嬉しい夜会に。

このひと月、幾度となく課題の種に直面した。私の中の何かが音を立てて変わる時、変化していく過程で、信頼・尊敬している人に、繋がり導いてくれる。

とある二人の尊敬する方に巡り合わせで時間を授かった。話すべくして、話し、自然と時間が割いて、我と向き合うことが出来た。腹の内を話すきっかけをくれて、感情を篩にかけて、丁寧にもう一度精査し、私のあるべく姿をもう一度考えさせられた。

腹の内を話すということは、なかなか勇気のいることだけれど、いざ話してみると自分の足元の軸をしっかりと確認出来た。

日常の中で、受け身になりがちだったわたし。それは苦しくなく自然な気持ちで行えることなのだけれど。私が自身の身に起こる出来事や溢れる感情は、咀嚼し消化を夫婦間で共有している。ただ、向き合いきれてなかった心の塵をかき集めて、何かの答え合わせをしたような気持ちだった。

二人の女神には、もろっと感情を引き出してもらい、自分自身の在り方をそれとなく気づかせてもらった。

こうして巡り循環していくことが、何より大切だと思う。土螢という旅の交差点であるからこそ、旅人との会話も、私の中の芽生える感情も、生き様・在り方も。とめどなく日々循環している。私の中の使命は、ここに在り続けることで、旅人のその日の、今日の、足元を照らす役割なのかもしれない。それぞれが旅路から、日常に戻ったタイミングで、心のパーツを発見していくのかもしれない。

滞ることをせず、巡り、浄化されれば、きっとその先の出逢う人もまたその先の人も続いていくだろうなと。そんなLOOPのお話。

素直であること、真っ直ぐに、純粋であること。

そして、何事にも感謝すること。

家族の合言葉。

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