Blogブログ
2024.1.28家と、族と、歩み方と
一月、夫婦での時間を割いてみました。
満月の夜をじっくり歩きました。土螢からゆっくりと千波湖畔の緑化地〜西の谷公園を抜けるとほとんど公道を通らずに、水戸の街中へ徒歩40分で着くのです。京成百貨店の裏へ繋がっています。
向かったのは、わたしたち夫婦が危機を乗り越えたあの名店です。今や、土螢お箱の笑い話。
9年前のこと。結婚の日取りへと邁進する若いふたりでしたが、あることがきっかけで真面目に人生を考えた瞬間がありました。女の私は、ささっと気持ちにケリをつけて別の道を歩む決意をしていたんですね。
“最後に”という待ち合わせ場所がここgiinoさんで、寄りを戻した場所もここgiinoさんでした。
もし、最後に逢う場所がここじゃなかったら、今は別々の道を歩んでいたかもね。と二人で笑いながら、今年もまた二人で来れた。と一年、一年をしっかり噛み締めることができる思い出の場所なのです。
この日私たちはいろんな話をしました。これからの自分たちのことや、娘のこと、家族の在り方や、宿で出逢う人々のこと。仕事のことや、暮らしに関わっていることなど。少し心の中で俯瞰して、ちょっと町外れくらいから、今の家族を覗いてみると言った感じで。
つい先日、ひょんなことがきっかけで、主人を怒らせてしまい、久しぶりに大声で叱咤されたことがあります。いわゆる夫婦喧嘩ですね。もちろん、私も急なことだったので、何よ!って大声をだしました。すると娘が次の日に、家の黒板にこう描いていました。
“さんにんで1かぞく”
こうして、馬鹿真面目に夫婦や家族をやっていると、色んなことがわかってきます。なぜ怒った?その言い方?態度?とか小さなことでぶつかっていても、結局はなんだかムズムズと笑いどころは見えてきて、笑えてしまう。
わたしたちは常に、それぞれが自としてあり、族としてあり、それぞれの日々があって、そこから帰る道があり、還る家がある。
そこに、携わる人々が出てきて、私たちの在り方で癒されもすれば、息苦しさを感じることもある。
ともに、暮らすということは難しいようで、案外シンプルだったりするんですね。
だからこそ、土螢さんという架空のイメージよりも、今を生きる家族でなければならないね。と年始から共通認識を高める時間を過ごしました。土螢という建物や空間は、私たちが望んだ理想郷。ただ、そこに住まう家族たちは、どうかと言えばしっかりと未熟で歪で、笑えるほど不完全でつっこみどころが、満載なのです。
この笑える、ホッとするって、空間の中ではとっても大切なことなんですよね。
このぽっと温かくなる瞬間みたいなものは、家族ならではの温度なのではないかと感じながら、ふりかえっているところです。何が言いたいか、はっきりと纏まりませんが。
纏めると、彼と家族になってよかったという話かもしれません。この一家族が、世にとってどうあるか。と小から大へ考える。そんなことを年始からずっと考えていたりします。