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2023.9.13変わる、流れ
Webサイト編集。四年目がはじまった秋、やれることが増えた。いいこだわりと、今はもう不要なこだわり。増えていること、減っていること。あれやこれ。が見えてきた。不安だったことを少しずつ柔らかくして、解消できたのも、一人一人の旅人たちのおかげさま。
旅が好きだった。Webサイトにもそう書いている。彼の旅と、わたしの旅は互いに違う時間を過ごした。もちろん、いまは一緒の景色をみている。
独身時代”わたしの中の旅とは、なんだった?”
贅沢や非日常が好きだったわけではない、その日その時の景色や普段の姿を、わたしの気分もふくめながら、脳裏に焼き付けることが好き。
白昼堂々寝ている人、”定員”という概念のない交通機関、情緒の不安は隠さない派の店員。とばっちりも受けたけたことも、愛嬌になる。多少のことでは動揺せず。
いつも夕陽は眩しくて、地球と太陽の関係はどこへ行っても変わらないということに、毎旅ほっとしていた。
その日、わたしいろの色眼鏡で世界を解釈して、正解のない日々を咀嚼しながら味わっていた。
家族となり、母となり7年の歳月が過ぎた。あの頃とは、度数も違う、形も違う、多様な眼鏡を日々かけている。眼鏡の特徴は家族のかたちが色濃く写るものが多くなっている。
赤ちゃんと入れるお店、座敷があるか気にしていた頃は、たった数年前のこと。移動や使い勝手が楽という理由で、ファミリーカーを買った。でもたった数年で、使い勝手の思考から形は変化して、旅の中心地となった。スーパーファミリーカーを手放す選択肢が無い。
快適だった車中泊は去年までのこと。今年の夏はあの子の寝床を拡張した。車中泊がだんだん窮屈になってくる課題に直面。犬もいる、わたしたちいつのまにか大所帯。もう、ファミリーカーではなくレンタルキャンピングカーの時代が我が家に到来するのかもしれない。どうにかこうにか、あれやこれと口喧嘩をしながらでも、ぎゅうぎゅうの車内から車窓を楽しみたい。今しかできない経験、色や形、匂い。ちいさなことに価値を感じている。
いつハプニングが起こるかわからなかったあの頃。移動中のオムツのうんちにヒヤヒヤしたいた時は早々に過ぎて、バス電車・自転車が旅に刺激を与えるアトラクションとなった。
わたしひとりの時代から、全くの別世界のような7年を過ごした旅路。
土螢さん、の話
駆け出しの土螢さんとしての時間のなかには、子育てが中心で揺るがないメインだったわたしがいた。手間暇をかけ旅人と過ごしたい時間。まだじっくりと味わえていない感覚もあったり。
旅でいうと、目的地に着いたばかりで、まだ食事もとれていないし、換金すらもできていないといったところだろうか。
なんだかこの街は面白そうだという好奇心の灯火はついたばかり。
家族と毎日のこと、の話
夏が過ぎ去ろうとしてるところなのに、クリスマスの飾りをはじめるあの子。気持ちがいつも先走る。つい、笑ってしまう。
毛が生え変わりの時期。エマの猛烈な抜け毛に悩まされながらも、毎日床を拭き掃除、雑布を干す。汗をかいた肌に毛が絡む。
主人は相変わらずこだわりやルーティンを貫く。だから彼が好き。でも、何にもなくても、なかったとしても、彼が好きだと思う。彼の目標が具体的に動き出す。
これが家族の毎日。
暮らしと旅を念頭におきながらも、勝手な思考のなかでの中で、わたし自身が暮らしと旅をきっぱりとわけていたことに気づいた。土螢さんであることと、ひろ野さんであることはなんら変わらないことなのに。旅も暮らしも、気さくでいい。
背伸びするのではなくて、自然体でありたい。
ここを通りゆくそれぞれの人たちの旅が、日常のまん中であって欲しい。
主人は仕事へ行くし、娘も学校へ行く。だけれど旅人は旅路の、途中でいいわけだ。
ホストファミリーとしても、土螢としても、いつも同じ色でよいわけだ。
いっこいっこ、作り上げてきて、これからも作り上げて行くことを紐解いていく作業。
土螢の開放デイ・余白と対話、創作人の支えの場・アトリエの開放、宿屋以外の一連の活動がはじまる秋。
柔らかく気長に、まっすぐにをもう一度掲げ直す。
ありのまま、そのまま。そんな場所であることを真ん中に置いておくこと。
Web編集中につき、方向性の整理を。旅の進路を考案中。
わたしの生きる場所、ここ土螢