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もしも、迷ったら

わたしは昔から人の目線がよく気になって、空気の匂いとか場の流れとかをすごく読んでいたと思う。3人兄弟の二番目というところがそうさせたのか、はたまた天性のものなのか。子供の頃はよくちゃんとしなきゃって、大人の前で良い子でいたなぁ。

今になって思うのが、それは良い経験だったのだけれど大人になってからはあえて削ぎ落とす必要のある能力だと感じている。それは、私がこんな暮らしをしていることと密接に関わりがあるのだけれど、でも仮に宿だけでなく、家の外でのコミュニケーションも然り。

大人になると目に見えない世界への感性が鈍る。この時代では意識して保っていかないと鈍ってしまうものではないだろうか。圧倒的な情報量に毎日飲み込まれている現代人は、目を覚ましたら時計を見て、今日食べる食材の賞味期限を見て、この商品がいいと書かれていれば鵜呑みにして使う。

時間がわからなければ、外の空気感と空気の重さ、身体の調子で何時頃が感じる、匂いや柔らかさで食べ物の美味腐敗を確かめる、自分の肌に何が合うのかいろんな植物を塗り実験する。

見えないものを感じる余白が、わたしたちにあるのだろうか。

子どもたちはその点その感覚をたくさん携えている。文字が読めないからこれはなんだ?と自分でよく舐めて確かめるし、情報は手のひらで持てる分しか持てず、2歩3歩先までしか景色を把握していない。

地球の表面に近い背丈で一生懸命、地球を愛でて大きくなっていく。

大人になって、文化や歴史を学んで、敬語や社交辞令を学び、思っていないことを口にすることもあるでしょう

だけど、もしなにか迷ったら、ちょっと待てよ。と思ったら。子供たちを見てみよう。もっと削ぎ落として、人に迷惑をかけてもいいのだから、失敗しても明日が終わるわけじゃないのだから、心から感性を解放しよう。

目に見えるものでを評価するよりも、素直で真っ直ぐで誰になんと言われても曲げなかったその自分軸を尊敬して愛していきたい。

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